TV appearance, NHK Educational, 7 December 2004
Program "Shiten Ronten"
NHK 視点・論点
、2004年12月7日



Japan and Germany Approaching the 60th Anniversary of the End of the War
戦後60年を迎える日本とドイツ

日本とドイツは、2005年という重要な年を迎えようとしています。その年で、日本とドイツは様々なかたちで連鎖しています。まず、2005年4月から一年間にわたり「日本におけるドイツ年」が実施されることになっています。
それと同時に、2005年というのは、第二次世界大戦において連盟国であった日本とドイツにとって、戦後60年という、敗戦から60年目の記念の年でもあり、歴史を巡る様々な議論が両国において浮上することも予測できます。
戦後60年に向けて、現在ドイツでは、「ユダヤ人大虐殺記念碑」が作られています。この記念碑を巡る議論は、十数年間にわたって続き、2000年には議論をまとめたこの膨大な本が出版されました。6百万人のユダヤ人が、ナチス支配下のドイツとヨーロッパに殺害された責任の重さが、このホロコースト記念碑の計画の主因でした。記念碑建立の趣旨によりますと、「ホロコーストの記念はドイツ連邦共和国の自己認識の不可欠な部分である」と位置づけられています。しかし、ユダヤ人以外にも、他の犠牲者のグループ(つまり、ナチスが敵視していた宗教、民族、人種など)、そのようなグループがいくつか存在しているにもかかわらず、「なぜその犠牲者の記念碑を作らない」、「なぜ記憶の政治において、ユダヤ人がある意味「優遇」されているのか」、という批判も決して少なくありませんでした。
しかし、数十年前の歴史記憶に比較すると、このような記念碑の建設は大きな一歩であります。戦後を通して、ドイツにおいては主に自国の犠牲者、つまりドイツ人戦没者、抵抗運動に参加し、犠牲となった人たちなどを中心に、戦争が記憶されたわけで、ドイツ人の手により犠牲となった人達の記念碑が建立されたのは、1960年代後半になってからです。
現在でも、ドイツのほとんどの町と村に、教会に付属しているドイツ人戦没者の記念碑が存在しています。しかし、国のレベルではドイツ人戦没者よりも、ドイツ人によって犠牲となった人達の記念碑を建設することの方が重要視されています。そして、その傾向の結果として、現在ドイツ連邦共和国の政治的中心である国会の数百メートル南側に、2,751本の石碑で構成される「ユダヤ人大虐殺記念碑」が建設中であります。これは、最近の工事現場の風景です。




1980年代以来、この記念碑に対する批判が相次ぎ浮上しましたが、近年少なくなってきました。その原因の一つは、ドイツ社会における歴史記憶に関するコンセンサスであります。このような記念碑によりドイツの戦争責任、ユダヤ人大虐殺に対する責任を明白に、そしてシンボリックに提示することが、今後の世代に対する義務である、ということが一般的に認められています。そのコンセンサスをやぶって、この記念碑を批判するのは、今や社会の中で孤立している右翼の勢力だけです。今年の10月に、東ドイツの州選挙の投票率を少々上げることに成功した右翼政党の代表の一人の「ユダヤ人大虐殺記念碑」に関しての暴言が話題になったところです。かれは、「ドイツ帝国が再建される際、この記念碑が新たな首相官邸を建設するに当たり、丈夫でちょうどいい基礎になりそうだ」、という非常にシニカルな暴言をはきました。ドイツの市民社会だけではなく、政界においても、このような声は非常に孤立して、大きな批判を呼び起こすものであり、寧ろ戦争責任に関するコンセンサスを強化することにつながります。

戦争責任の問題で、ドイツと日本がよく比較され、そして日本では、ドイツの戦争責任のとりかたが非常に美化されているところもありますが、政治家の歴史認識との関連で、ドイツと日本はたしかに相違しているところがあります。つまり、ドイツでは歴史に関して暴言する右翼政治家は孤立しているのに対して、日本ではいまだに大きな党の政治家が歴史に関して暴言をはいても、昔は辞任に追い込まれた政治家もいましたが、最近はほとんど批判さえもされなくなった状態です。しかし、このように日本の戦争責任を否定し、それともあいまいにする暴言が社会のコンセンサスを現すものであるかどうかを考えると、決してそうではないようです。
このNHKの世論調査の結果をみてみますと、日本の社会において、戦争責任を否定する声、アジア太平洋戦争においておこなわれた戦争犯罪、虐殺などを美化したりしている声は、非常に少数の意見であることがわかります。2000年のNHKが実施した「日本人の戦争観・平和観」という世論調査の中で、「アジア太平洋戦争はアジア近隣諸国に対して侵略戦争だったのか」と聞かれた際、51%は「はい、侵略戦争だったと思う」と答え、15%しか戦争の侵略的性格を否定しなかったのが現状です。
そして、「今の世代も戦争責任を引き継ぐべきか」と聞かれた際、60%近くは肯定的に答えました。さらに、このような問題に関して、若い人たちこそがしっかりした認識を持っているようで、ここ20年間の歴史教育の成果がみてとれます。日本の歴史を考えると、これは当然な歴史認識というだけでなく、ますます国際化が進む世界において、他の国々との正常な関係を保つためにも、不可欠な歴史認識であります。このような、自国の歴史を批判的に、反省的に直視できるポテンシャルは日本の社会の中にあるようですが、その認識があまり表に出ていないので、日本の歴史の清算が頻繁に批判されていると言えます。
それは社会の変動に合せることが苦手である、日本の政治の責任であるといわざるを得ませんが、社会においても、歴史認識の変化に対して、十分注意が払われていないこともあります。たとえば、ドイツの歴史認識に大いに影響を与えた映画、ドラマなどですが、歴史を問題にする映画はここ10年間において、日本では少ないように思います。

ドイツでも、ナチス時代を取り上げる映画はそれほど作成されることはありませんが、この9月に、「没落」(Der Untergang)という、ヒトラーの最後の日々、ドイツ帝国の最後の日々を描いた映画が上映されました。1945年の4月にソ連軍がベルリンに近づき、ベルリンの総統官邸地下シェルターでヒトラーが最後の決戦を計画している時期を描く映画です。最初から最後まで、ソ連軍の爆撃音が止まらず、非常にグロテスクな雰囲気の映画です。今まで、ナチス時代の歴史で笑うことができなかったドイツ人でしたが、自分の世界に陶酔しきっていたHitlerのあわれなすがたをみて、映画館で思わず笑い声を出す人もいました。
今まで非人間化されていたヒトラー、悪魔そのままとして理解されてきたヒトラーですが、この映画では、今までにはなかったヒトラーの人間像も描かれています。これは、今まで大きなタブーでしたが、ドイツ人が歴史を直視できるようになってきた過程の中で、大きな一歩であったという人も言います。と同時に、現在でもこのように、様々な議論が続くドイツでも、20世紀の歴史の清算、20世紀の歴史を直視する課題がいまだに解決されていない、ということも示しています。

ドイツSpiegel誌の関係記事 (2004年12月)