TV appearance, NHK Educational, 17 May 2004
Program "Shiten Ronten"
NHK 視点・論点
、2004年5月17日



Regional Integration in Europe and Asia
地域統合の現状:欧州とアジア

2004年5月1日、欧州連合(EU)は東ヨーロッパ諸国を中心に新たに加盟国10カ国を迎え入れ、旧共産圏の東ヨーロッパにまで拡大されました。このEUの拡大は5,000ページで構成されている「加盟要約」を受け入れなければならない新加盟国にとってだけではなく、EU全体にも様々な課題をもたらすものです。しかし、このEUの東ヨーロッパへの拡大は、第二次世界大戦から続いていたヨーロッパの東西分断を本格的に克服する出来事でもあります。と同時にヨーロッパの地域統合にとって、大きな前進であると言えましょう。しかし、地域統合という目的は拡大で達成するものではなく、今後深化という課題がさらに大きくなる見通しであります。

欧州だけではなく、北米、そして東南アジアも、いわゆる地域統合というプロセスにおいて近年様々な進展をみせています。一方、東アジアという地域における地域統合はあまり具体化されてきていません。欧州では、地域統合はもう既に国際政治の自然的、必然的な流れになっているという認識が一般的ですが、ヨーロッパの視点から東アジアを見てみると、東アジアは国際政治において少し取り残されている地域になっているようにも思われます。欧州の人々は、地域主義を自然的、必然的な発展として認識しているのに、なぜ地域主義、地域統合が東アジアでは進展が遅いのか、という問題について、考えてみたいと思います。

― まずは、地域統合というプロセスに対する欧州とアジアにおける基本的な考え方、認識の違いです。地域統合というプロセスにおいて、様々な障害物があり、それを乗り越えるには、欧州でも大変長い時間がかかり、現在でも様々な問題が残されています。日本にいますと、ヨーロッパの諸国は似ているので、ヨーロッパは統合しやすいけれど、一方、アジアには様々な文化があり、地域統合が進展するはずがない、このような言い方をよく耳にします。しかし、ヨーロッパの多様性を考えると、北欧のラップランドからギリシャ諸島までの欧州が「1つである」とは決していえません。また、ヨーロッパの統合は歴史的に、不可避的なプロセスであったとも言えません。
EU統合は、50年間の歳月を費やした結果であり、ヨーロッパにおける残虐な戦争の歴史とその教訓から得た結果であり、政治的・社会的にも、強い意思に基づいています。その強い政治的、社会的意思によって、ヨーロッパの文化的、政治的な違いをも乗り越えるようになりました。一方、東アジア諸国には、このような意思がいまだに薄いと言わざるを得ません。

― 次に、東アジアの地域統合・地域主義は今の段階において、まだ経済的な面に偏っています。EUの場合も、経済統合は最初から重要な課題でしたが、それ以上に安全保障とヨーロッパの「共同の家」を作ることが地域統合の進歩につれて、ますます重要視されてきました。経済統合がほぼ完成した現在では、寧ろヨーロッパのアイデンティティの創造が中心的な課題とされています。
東アジアの地域統合は現在、とりわけ経済という面でアップローチされてきていますが、その中でも又意外に多くの問題が残されています。例えば、最近よくFTA(自由貿易協定)の交渉に関するニュースを聞きます。世界の各地域においてそうですが、FTAの交渉に際しては古今東西を問わず、農業問題が浮上します。ヨーロッパ統合においても、EUが東ヨーロッパへ拡大する際にも、農業問題は最も解決しにくい問題の一つでありました。
日本の場合を考えると、日本が唯一のFTAを結んでいるのは、あまり農産物を作っていないシンガポールという町国家です。しかし、意外なことに、この協定では除外品が決められています。金魚とランの花です。FTAを結ぶ際、除外品を決めることは国際的に認められていますが、FTAの本義―すなわち自由(○○)貿易ということ―この本義が理解されていないという印象を受けます。

― 次に、過去・歴史の処理という点であります。東アジアにおいて、ある意味では、いまだに冷戦体制が続いていることも、当然、地域統合にブレーキをかけています。
共産党一党支配が続く中国は最近様々な変化を見せていますが、環境問題や人権問題などにおいて沢山の課題が残されています。北朝鮮においては、共産制が続くだけではなく、その国の核兵器開発が東アジア全地域の安定を脅かすものであります。しかし、冷戦の歴史的遺産だけではなく、第二次世界大戦の処理が曖昧にされている点も多々あります。この点において、特に日本の政治に問題が多いと言われていますが、確かに、歴史問題が隣国の日本に対する不信感を招いている原因であるに違いありません。
しかし、その日本に対する不信感には、もう一つの次元があります。日本にいると、近年様々な脅威論を耳にすることが多くなってきました。しかし、実際、東アジアを見ると、日本は既に軍事大国であり、寧ろ恐れられる存在である、というふうにもとれるのではないでしょうか。つまり、世界中の国々の軍事予算を見てみると、日本の軍事予算は3番目に大きいのです。東アジア諸国の軍事予算を比べてみると、日本が東アジアにおいて圧倒的に強い軍事力をもつ国であり、その軍事予算は北朝鮮の軍事予算の30倍にも達しているわけであります。日本のアジア諸国との関係を考える際、歴史問題とこのような数字は決して無関係ではないでしょう。

― 最後に、ヨーロッパの経験から東アジアの地域統合、地域協力の将来を考えるとき、一番支障を与えているのは、東アジア各国における国家観ではないか、という気がします。つまり、欧州において、国家という概念が戦後ますます相対化しつつあるのに対して、東アジアにおいて「国家」というものはいまだに絶対的な存在であるように思えます。
ヨーロッパで、ナショナリズム、とりわけ国への忠誠心の強化を狙うナショナリズムに対する疑問が強くなりつつあるのに対して、東アジア諸国において近年、逆に国への忠誠心、いわゆる愛国心を強化する動きが広まっています。日本でも、教育基本法の改正と憲法改正問題を巡る論争において、愛国心の人工的な育成を目的とする論者が沢山いるようです。ヨーロッパでは、第二次世界大戦以来、歴史の教訓として、国、ナショナリズム、愛国主義などという思想に対して、強い警戒心が浮上し、もはや「健康的なナショナリズム」のようなものはありえない、というのが、欧州における一般的な考え方です。このようなナショナリズムに対する疑問こそが、現在のヨーロッパのアイデンティティの中核にあるといえましょう。もちろん、サッカーなどの試合に際して、国旗を振る人も多いのですが、政治とつながりかねないようなナショナリズム、国家への忠誠心を強化する動きは、欧州において疑問視されています。そして、ここに、地域統合が成功した大きな要因があります。
1960年代のドイツのハイネマン大統領のインタビューに対する答えは、その変わりゆく国家観、愛国心への疑問に関連して、代表的なものだったかもしれません。記者に、「ハイネマン大統領、あなたは国を愛していますか?」と聞かれた際、ハイネマンはこの質問自体に対して驚きをみせ、率直な答えを出しました:
「私は妻を愛しています。」という答えでした。

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ここで、NHKに与えて頂いた貴重な9分半が終了しましたが、当然話したいことは他にもまだまだありました。このような難しいテーマは当然9分で完全に説明することはできません。追加で、先ず安全保障問題について、もう一つ述べたいと思います。ヨーロッパの統合は本来安全保障という課題も内包していたことは先にも述べましたが、当然、冷戦体制の際戦前であった、中央ヨーロッパ、分断されていたドイツは、米国の軍事的存在なしには、存在できませんでした。しかし、アメリカに依存しながらも、西ヨーロッパは独自の安全保障をも随時考えていました。東アジアは、地域内の敵対視が現在まで強く、地域内の安全保障における協力が殆どない理由は、いうまでもなく、多くの国々が米国に頼っていることにあります。日本の安全保障政策は日米安保に基づいており、韓国も米軍によって守られています。東南アジアにおいて、ASEANという地域組織があり、安全保障上でも機能を果たすようになりつつあるとは言っても、いまだに米国の存在が圧倒的に重要でありましょう。ここ2、3年間の世界政治の発展を考えると、しばらくアメリカの影響力、アメリカへの依存心がアジアにおいてさらに増加するのではないかと思われますが、国際政治におけるこのような一国中心主義は各地域の地域統合にとって決して良い影響を与えることはないでしょう。

与えられた課題は、欧州からみた東アジアにおける地域統合とその問題点でしたが、欧州において地域統合が着々と進みつつあるということを、上述の話しの基盤にしました。しかし、当然欧州統合においても沢山問題があり、必ずしも理想的に進んでいるわけではないことも決して忘れてはいけません。この番組においてアジアの地域主義を分析しましたが、欧州の地域統合の問題点を分析するには、改めて9分が必要なので、あまり叙述しませんでしたが、東アジアの地域統合の進展、発展を考える際、やはり欧州の統合にも沢山問題が内包していることこそをよく考える必要があるかもしれません。